メンヘラホステスの戯言

うつになって会社を辞めて、私はホステスになった

心療内科で素晴らしい先生に出会いました。

ゴキゲンヨウ、メンヘラホステスです。

先日は私が出社したところオメデタ疑惑を吹っかけられ帰されたお話をした。今日はその後の話をしようと思う。

死のうと思って出社して帰された。 - メンヘラホステスの戯言

 

 

さて、会社を出た私は、アスファルトで照り返された日差しを顔面に直に受けながらフラフラと自転車を漕いで街に出た。

街に出ると大型の商業施設の簡易ベンチに、買い物に疲れて休憩しているおばさまと隣り合って腰をかけてみた。

 

心臓は未だにバクバク鳴ってうるさかった。胸には何かつっかえた感じがあって、なんだか気分が頗る悪い。もしかして私って本当に妊娠しているのかしらん、いや、でもそれに至るような行為に及んだ記憶はないし、生理もきたはず、これはもしや想像妊娠なのではないか、仮想の子どもを腹に身籠るなんて…!

と妄想に妄想を重ねていたら、自分の意思とは全く関係のないところで涙がひたひたと頬を伝った。

 

びっくりした。

これまでも歩いていて涙が零れだすことなどはザラであったが、想像妊娠してしまった自分を憂えているところで涙をこぼすなんてことはなかった。

ついに私は壊れてしまったんだんだなあ、と思った。

 

その時、ふと、心から「死にたい」と思った。

自分の置かれたところを内側から冷静に見つめると、そこにはもう希死念慮以外の何も残っていなかった。

「死にたい」という気持ちをもっと分析的に表現するならば、私は別に「死ぬという行為」、すなわち「命を自ら絶つ」という行為がしたいわけではなかった。だって死ぬためにはたくさんの労力を使うし、準備だって私が想像するより大変にちがいない。桟橋からぽーんと身を投げてみて助かってしまった暁にはていへんだ、と思うくらいには私は十分小心者だった。

そんなことを心に巡らせるくらいには冷静であったし、逆に言えばそれくらい死に向かいあったとも言えるのかもしれない。だから、私はこのとき、絶対不可抗力的な何かによって、自分の生がストップしてしまうことをかなり他力本願だけれど、しかし一生懸命望んだ。それは例えば交通事故かもしれないし、食中毒かもしれないし、流れ弾にあたるというかなりSFちっくなことかもしれない。

条件不問、なんでも来い!というくらいに私は切羽詰まっていた。

希望という言葉の持つあまりに眩しすぎる光に私は目を向けられないくらい、長い間ずっと暗い闇の中にいた。

 

 

手元に持っていたスマホで、検索窓に「心療内科」と最寄りの住所を入れてみた。

上からずらりと並んだ病院名に、こんなにたくさんあったのか、とたじろぎながらもスクロールしてゆく。

病院に行くことにはずっと抵抗があった。自分が病気だと認めてしまったら、もう二度と「健常者」には戻れない気がしていたし、自分について人に曝け出せない一部を持つということはこれから人との間に対人関係を築いていくことは不可能なことに思われたからだった。

 

涙で画面が滲んでよく見えなかった。

 

私は検索結果の上位に出てきた病院へ電話をかけてみた。呼び出し音が数回鳴る。

 

「はい、○○心療内科です。」

「あの、本日空いていたら受診したいんですけど・・・」

「あ〜ごめんなさいね〜。もう二週間先までいっぱいなんですよね。」

「あ・・・そうですか。」

 

当日空いていないのは承知の上だったが、まさか二週間先までとは思っていなかった。しかし私はそんなことよりも受付のおばさまのまるでヘアサロンに誤って電話してしまったのではないか、と思ってしまうようなあっさり塩対応に驚愕した。

「死」を思って切羽詰まって電話をかけたのにもかかわらず、初めて電話をした先の対応がこんなだったので、私はかなり肩透かしを食らった気分になった。

 

諦めきれず、二件目に電話をかける。

結果は同じ。

そしてその次も、その次も。

 

さすがに心が折れてしまって、私は再び泣き出してしまった。あまりにも涙が次から次に出てくるので、トイレに一度駆け込まなくてはならなかったくらいだ。

 

 

気を取り直して7件目。ホームページは10年前に一度頑張って作成して、その後全く手入れされていないようだった。その証拠にスマホ画面には対応していない、大層見づらいページ構成だった。トップページに爽やかな緑の巨木の写真、住所と電話番号しか載っていない。ああ、今は営業していないんだろうな、と思いながらも半ばやけになって電話をかけた。

果たして、呼び出し音の後に出たのは、とても物静かでお上品な初老の女性の声だった。

「本日ですか…そうですね〜。ちょっとお待たせしますけれども、夕方5時半でしたら。」

私は嬉しくて嬉しくて、電話口で思わずどっと涙してしまった。 

お盆明けということもあって、どの病院も混んでいたようだった。もしかしたら最後の病院は、私の切羽詰まった様子を感じ取って無理にスケジュールを調整してくれたのかもしれなかった。私は勝手に医院のそんなソース対応に思いを馳せて、胸を熱くさせた。そして再びトイレへと駆け込んだ。

 

 

 

 

診察までの空いた時間、私は近くのブックカフェに入って暇をつぶした。

実はこの時、調子に載ってパンケーキを食べた。自分の中にまだこんな欲求が残っているということに少々驚きながらも、美味しく平らげてしまった。まあ、パンケーキが食べられるくらいには元気だったということだろう。

 

 

本を読んだ。

手に取った本は、私からすれば奇想天外な人生を歩んでいる人たちばかりの本だった。

中でも断捨離本はとてもよかった。

部屋の片付けという日常の雑事を、禅の精神にまで昇華させてしまうというその考え方は私とってはすごく斬新であったし、モノで溢れた世界に生きることを良しとする世の流れに迎合しないそのスタイルは、ハイカラで小粋ですらあった。

 

奇想天外な人生を垣間見て、私はほんの少しだけ楽に息をできるようになった気がした。

いつの間にか自分でレールを敷いてしまっていたんだなあ、と思った。

 

 

 

さて、診察の時間。

 

私はかなり緊張して院の門戸を叩いた。

その狭い空間には電話で対応してくれたと思しき女性が一人、受付にいただけだった。その後ろに診察室があるようだ。

 

精神病の診断材料となる問診テストを渡され、それにチェックを入れていく。たしか50~100問くらいあったと記憶している。

 

診断結果は「身体表現性障害」ということだった。現在はうつ状態にあり、このまま仕事を続けると間違いなく数ヶ月後にうつ病になるでしょう、と。

数が月の休職、もしくは退職を勧められた。

高校生の時分、3件ほど心療内科を受診したことがあったが、どの医院も気にいらなかった。きっと一生懸命やっているのでしょうが、私をどうしても通う気にさせない何かがあった。それはおそらくは、医師が私を特定のプロトタイプにあてはめようと画策したり、現状を聞き出してはしたり顔でうなづいたりするその仕草の端々に、私を理解しようという前向きな姿勢というよりはむしろ、事務的に何かを処理するような匂いを嗅ぎつけてしまったからだろうと思う。

 

しかし、お仕事で体と精神とを壊してしまった私が辿りついたその医院の先生は、私の話を「ほお〜」だとか「へえ〜」だとかいう友人に向けるような眼差しをもって、興味深そうにうなづき、時々まさに今!というタイミングを見計らって質問を投げかけてくだすった。

 

気がついたら涙を流したり、時々笑ったりしながら、いつの間にか一時間が経過していた。こんなにたくさんの時間を私に割いてくれてありがとうございます、という気持ちになった。もちろん、私がいい気分になったその分だけお金は請求された。

 

 

 

そんな風にして、私は社会人になって初めて心療内科デビューを果たしたのだった。