メンヘラホステスの戯言

うつになって会社を辞めて、私はホステスになった

8月のある日、私は出社拒否をした。

 

 

2016年8月のある日、私は出社拒否をした。

日付は詳しく覚えていないけれど、あれはお盆明けだったと記憶している。

 

おそらく多くの人にとってもそうであるように、私にとって《退職》するということは人生の中でもトップ3に入るくらいの由々しき事態であった。

 

なぜなら私が退職する理由は「精神を病んでしまった」から。

しかも4月に入社して6ヶ月も働いていないのに。

私はこれから世間でどのように扱われるのだろうと思うと、暗雲垂れ込めたる気持ちになった。

 

 

 

ある朝いつもの電車で出勤するはずだったのに、全身全霊をあげて身体が目の前の電車に乗り込むことを拒否した。

眉間にしわを寄せた不健康そうな人々をたくさん詰め込んだその電車を見送りながら、私は、その日会社に行かなかったら会社を辞めることになるのか、辞めたところで果たして食い扶持があるのかどうか、会社の先輩にどれだけの迷惑をかけることになるのかということすら全くもって考えることができなかった。

闇の中で煮えたぎる大きな釜の中を覗き込むように絶望的な気持ちになりながら、私は出勤していく大量の戦士たちに逆行してトイレへと駆け込んだ。

 

指を突っ込んで吐いたら少しは気分もスッキリするかもしれないと、便器にしがみつくようにかがみこんだけれど、弱々しい下品な声だけが口から僅かに漏れただけで液体すら出てこなかった。

私は吐くことすらできず、全く落ち着くことのない自分の鼓動にただただ耳を傾けていた。

 

 

便器に腰を下ろし、自分の絶望を覗き込む。

「死にたい」と口に出せば救われるかもしれない、とほんの僅かな望みをもって声を漏らしてみるけれど、気持ちは落ち着くこともなく状態は好転する気配もない。ため息。

 

トイレの個室に座っていると、これから働きに出かける健全な女性たちが、慌ただしく身支度をしている様々な音が耳に入ってきた。

化粧品をポーチに戻す時にプラスチック同士が当たって音を立てる音、個室でスカートのファスナーを開ける音、水が陶器の洗面台に勢い良く当たる音。

自分の外の世界で奏でられる全ての音が、この世界は健全であると伝えているように思え、私はまた胸を苦しくした。

胸から喉元にかけて異物がつっかかっているような感じを覚える。

心臓はうるさいくらいにその存在を主張してきて、ハヤクカイシャヘイケ、と急かしてくる。

 

 

スマホの電源を入れてみると、会社のグループLINEでは遅刻連絡や一日の業務連絡がどんどん流れてきていた。

瞬間、壁越しに遮断していたはずの社会への扉が勝手に開けてきて、無理やりに私を引き込んだ。

やめてよ、放っておいてよ、と私は懸命に唱えて瞼をきつく閉じる。

どれだけ自分から世界を遮断しようとも、外の世界はまるで台風の日にマンホールから勢い良くあぶれてくる水のように、容赦なく私の中へと浸入してきた。

 

 

AM8:30。トイレの個室に篭って悠に40分が経過していた。

会社に連絡を入れなくては、と思い、決死の覚悟で私は休みの連絡を入れた。

メッセージを送信すると肩の力がふっと抜け、体から全ての気が抜けていった。

少なくとも、今日1日は会社に行かなくていいと思うと、突然私の心は解き放たれた。

トイレの個室から出て外界に身をさらすことは、恐怖ではあったが、意を決して私は扉を開け、外へと出た。朝きた道を途中まで戻り、私は近くのカフェに入った。

 

普通ならば出社している時間帯に街中を歩き回っているという事実は、「社会不適合者」というラベルを貼り付けて歩いているような心地に私をさせ、妙に落ち着かなかった。

私の鼓動はばくばくと大きな音を立てていた。

また会社を休んでしまった。この日は連続して会社を休んで3日目だった。

もう私が仮病を使って休んでいるということは公然の事実であるように思えた。

 

 

 

私は4月に入社してから、ずっと「死にたい」という気持ちを少なからず抱いていた。

会社に行くのが嫌で嫌でたまらなくて、毎朝出社中の自転車にぼんやり乗っている時、車にひかれて死んでしまいたい、と切実に願っていた。

あまりにも毎日切実に願うので、いつの日か意識にものぼらなくなった。

それはまるで息をする時に、今私は酸素を吸っているだとかいう細かいことを考えなくてもいいのと同じようにして、私の身体の隅にではあるが、だがしかしはっきりとした輪郭を持ってちゃんと存在していた。

そんな風にして、私は「死にたい」という物騒な思いと付き合っていた。

 

 

しかし私は、それの存在をなかったことにして忘れてしまったり、身体の中からすっかり追い出してしまう方法を知らなかった。

どうしたらみんなのようにうまく笑えるのか、よるぐっすり眠れるのか、朝気持ちよく目覚めることができるのか、私には一向に判らなかった。

そうして、私は希死念慮というものと仲良くやっていくしかなかった。

 

 

だから、体調が悪いわけでもないのに会社にどうしても行くことができなくて、会社、辞めよう、と私が思ったあの朝。

私は確かに「もう死んでしまいたい」と思ったけれど、それは呼吸をするのと同じくらいいつものように自然に、ふわっと身体の中から顔を出した。「やあ。」という具合だった。

ただいつもと違っていたことは、鼓動がうるさいということと、激しく頭痛がしていたということと、お腹がとても痛かったことだった。

 

 

お尻から根っこを生やしたように3時間もカフェに座り込んでいると、だんだんと思考がまともになってきた。

 

スマホを片手に、会社を辞めていった先人たちの逸話を垣間除いては、自分はまだまだできるかもしれないと今の自分の甘さを責めたり、私よりもよっぽど過酷な労働環境にいながらもなお、仕事を粛々とこなしながら日々の鬱々とした気分を綴ったブログを読んでは、自分のことを棚にあげて心を痛めたりするのに、私は忙しかった。

 

これから会社を辞めるためのいろいろ様々な手続きをするんだと思うと、恐怖が襲ってきて、私は絶望に暮れた。