メンヘラホステスの戯言

うつになって会社を辞めて、私はホステスになった

休職に突入しました。

ゴキゲンヨウ、メンヘラホステスです。

 

 

素敵な心療内科の先生との出会いによって、私の心にはいくばくかの余分なスペースができた。

それは、私が少しだけ楽に呼吸をするためのスペースであり、この世界のありとあらゆるものにやたらと悲観的な意味合いを見つけ出してしまうもの哀しい心に、ほんの少しのきらめきを持って世界を見るようにするための、貴重なスペースだった。

 

病院に行っても根本的には何の解決にもならないのだからと、自分から匙を投げていたのだが、思わぬところで病院へ行くことの効用を得た気がした。

 

実際、病気であるといまだに断言して良いものかわかりかねる私のこの病状も、先生に出会えたからといってよくなるとは思えなかった。薬も出してもらったけれど、それが効くとも限らない。

それでも心に余裕ができたのは、私のことを肯定してくれる赤の他人に面と向かって出会えたからだと思うのだ。

もう少しだけ生きてみてもいいかもと、風に揺れる背の高い木の葉に見惚れながら思った。

 

それともう一つ。

こころの安寧を得るため、と言って医師に診断書を書いてもらった。診断書を書いてもらうだけで3000円も請求された時は確かにたじろいでしまったが、退職するかどうかはさておき、そのための準備はできたということで少しばかり心強い気持ちになった。

 

 

 

さて、翌朝。

私はまたもや不憫な二者択一を迫られていた。

  1. 診断された病気についてはひた隠しにし、病院にいったが原因不明だったとしてこれまで通り出勤する。
  2. 全てを打ち明け、退職する。

 

なんて貧弱な選択肢・・・。

でも私は本気で悩みまくっていた。夜もおちおち眠れず、真っ暗闇の中、布団に包まり目をギンギンに開いて心臓の音を聞いていた。

朝になってもその状態は変わらず、通勤を迫られていたもののどうしてもできない。どうしてもできないのだ。寒くなくたって布団は私を離さない。

 

始業開始30分前、私はいよいよ先輩社員に連絡を入れた。メールには『退職』したい旨を書き、吐きそうな思いをしながら「ええいままよ!」と送った。そう、私は後者の選択をしたのだ。

 

メールを送信した後は、怖くて昼過ぎまでケータイを見ることができなかった。サイレントモードにしてスマホを布団にくるみ、その存在を自分が忘れられるようにと、部屋の隅にそっと置いた。

 

いきなり病気のことと、『退職』のことが書かれたメールが送られてくるのだから、先輩もビックリしてなんらかの連絡をしてくるに違いなかった。冷静にそういう考えに行き着いた昼過ぎ、私は再びスマホを手にすることができた。

 

先輩からのメールには、叱咤激励などのことばは見当たらなかった。病気を心配していること、今まで気づいてあげられなくて申し訳なかったこと、休養を最優先してほしいこと、そして一度会って話したい、ということが書かれていた。

そのあまりにもできた人間の対応に、私はほっとする気持ちと、出来過ぎるその先輩への嫉妬の気持ちと、迷惑をかけて申し訳ないという気持ちと、自分が情けないという気持ちと、ありとあらゆる感情がないまぜになって湧き出てきて、ただただ泣いた。筆舌につきし難い思いとはこのことである。

 

 

翌日、私は先輩社員と喫茶店で面会した。

お店の予約や時間の指定などは先輩が全てしてくれていた。さすが、できる。そして私はまたも自分と比べて情けない気持ちになる。

 

「退職じゃなくて休職しない?」

 

そう、言われた。

先輩社員は、病院によって『精神病患者』というレッテルを貼られた私を前にしても、ちっとも挙動不審にはならなかった。いつものように、けらけらと冗談を混ぜながら、私と世間話をしてくだすった。やはり、できる。

 

私はてっきり退職のための手続きをするものだと思っていたので、突然の休職の打診にとても驚いた。

「一年間は休職できるから、いつでも戻ってきてくれていいから。」

ということだった。

先輩社員は、退職した場合、私の収入が突然なくなってしまうことなどをとても心配してくれているようだった。

 

私の心は揺れに揺れた。

すぐに退職すれば心は幾分すっきりするに違いないが、その分収入がなくなり、精神的には余計に不安定になってしまう可能性も有る。

休職した場合、どちらつかずの自分の身分はさておき、戻れる場所があるということで精神的に安定できるし、会社の保険を使ってお金もいくらかいただける。

 

すぐに決断しなくても大丈夫だからということで、その日はお別れした。

先輩は、私のためにプレゼントまで用意してくれていた。凄まじく、できる。気がまぎれるように、と色塗りの冊子をくれた。

プレゼントをもらっていつも思うことは、プレゼントの良さというのは、その内容如何ではなく、そのものを相手のために選んだプロセスや、それを選ぶときに注がれた思いが、渡す相手にぐっと迫ってくる、そんなこころの通い合いみたいなところにあると思う。しかしこの日ほど、そう感じたことはこれまでにないかもしれない。それくらいに、私の胸にぐっとくる贈り物だった。私はその気遣いがあまりにも嬉しくて泣けてきてしまった。夜一人でぽつぽつと歩きながら、得体の知れない幸福な気持ちになってしまった。

 

 

 

翌日、私は休職させてほしいという旨を先輩に連絡した。

「休職を選んでくれてありがとう。」と返事をいただいた。

 

 

かくして私の宙ぶらりん生活は始まったのである。